カメラが続かない人へ――細く長く続けることで見えてくるもの

カメラを持ち出すのが、なんとなく億劫になってきた。
そんな時期、ありませんか。
特別な理由があるわけじゃない。でも天気が悪い、時間がない、なんとなく気が乗らない。そういう小さなことが重なって、気づいたらしばらく撮っていない——。
でも不思議なもので、たとえ1枚でも撮り続けていると、以前なら見過ごしていた景色に足を止めることがあります。
「今見ているこの景色を、ちゃんとカメラで撮りたい」
そんな瞬間が少しずつ増えていくのです。
この記事では、続けることとカメラの楽しさについて、自分の体験を交えながら書いてみます。

カメラから遠ざかる、小さな理由たち
カメラが続かなくなるのは、たいていひとつの大きな理由からではありません。
撮りに行こうと思ったら雨だった。休日に予定が入った。カメラを出すのが面倒で、結局スマホで済ませた。撮ってみたけど、なんとなくピンとこない写真ばかりだった。
ひとつひとつは些細なことです。でもそれが積み重なると、気づいたときには何週間もカメラを触っていない、ということも珍しくありません。
「また今度撮ろう」の今度が、なかなか来ない。
そういう経験、一度はあるんじゃないかと思います。
ライフステージが変わると、趣味の優先度が変わる
小さな理由とは別に、もう少し大きな変化がカメラとの距離を広げることもあります。
仕事が忙しくなった。子どもが生まれた。引っ越しや転職など、生活そのものが変わった。
そういうライフステージの変化があると、趣味に使える時間やエネルギーが自然と減っていきます。
カメラが嫌いになったわけでも、飽きたわけでもない。ただ、優先順位が変わっていく。
それは悪いことではありません。生活が変わるのだから、当然のことです。
ただ、そうやってカメラとの距離がじわじわと開いていくと、再び手を伸ばすまでのハードルが少しずつ高くなっていきます。久しぶりに触ろうとしても、やっぱり面倒くさいと感じたりもします。
それでも撮り続けていたら
私自身、子どもが生まれてから明らかに撮影に出かける頻度が減りました。
以前は、予定のない休日があれば、ふらっと写真を撮りに出かけていました。それが、なかなかそうもいかなくなりました。
ただ、完全にやめることはしませんでした。
出かけられない日は家の中で一枚だけ撮る。時間がなくても目に入るところにカメラを置いておく。気が向いたときだけでもいいと決めて、いつでも触れる状態にしていました。
特別な努力をしたわけではありません。ただ、細く長く続けていただけです。

カメラを続けると、見えるものが増えていく
以前なら見過ごしていた景色にふと目が止まる。
窓から差し込む朝の光や、夕方の長い影。子どもが遊んでいる何気ない瞬間や、テーブルに置かれたコーヒーカップ。特別な景色ではないのに、「これをカメラで撮りたい」と思う場面が少しずつ増えていきました。
技術が上がったというより、見る目が育ったのだと思います。
撮り続けていると、自然と光や色、形の変化に気づくようになる。すると、以前は何もないと思っていた場所にも撮れるものが見えてきます。
カメラの楽しさは、遠くへ撮りに行くことだけではありません。
日常の中に被写体を見つけられるようになることも、大きな楽しさのひとつです。

カメラを長く楽しむために必要なのは、頑張ることではない
だからこそ、カメラを続けるために大切なのは頑張ることではありません。
むしろハードルを下げることです。
毎週撮りに行かなくてもいい。作品を撮ろうとしなくてもいい。「今日は撮れなかった」ではなく、「今日は一枚撮れた」で十分。
趣味は義務になった瞬間に苦しくなります。
だからこそ、続けられるくらいの軽さでいい。その積み重ねが、気づけばカメラの楽しさになっていくのだと思います。
カメラは、続けた人がいちばん楽しめる
ライフステージが変わっても、細く続けていれば、カメラは必ずまた楽しくなっていきます。
撮り続けていると、見えるものが少しずつ増えていく。
だから私は、カメラは続けた人がいちばん楽しめると思っています。



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